人と家の温度のつながりを記録に採り続けている。
昨年の6月からこの1月までの記録を整理してみた。 4℃から24℃の間、 この20℃の巾の中に夏から冬への移り変わりがみてとれる。 この変化の中で、家はどのような姿をしていればよいのか? 広辞苑の「しつらい」を引くと、「設けととのえること」とあり、 例文に竹取物語からの抜粋、 「うちうちのしつらいには、 いふべくもあらぬ綾織物に絵をかきて、 間毎にはりたり。」 という文をみつける。 西洋ではゼムパーが建築の起源について語る「四つの要素」の中で、 壁と織物、絨毯が仕切りとしての意味を持っていたということが述べられている。 チャレンジしているところだけれど、このような家を考えているとき、 要素をできるかぎりシンプルにしていくという作業が必然的に伴ってくる。 そうすると、昔の寝殿造りのような構成が参考になりはしないか、 などと思ってしまう。 そこで「しつらい」という言葉を引いてみたのだけれど、 そこからゼムパーの四要素に記憶が飛んでいくなんて、 設計が連想ゲームのようになってきている。 寝殿造りのその図を眺めていれば、 そこにモダニズムの気配だって感じられるわけで、 起源のことを考えると、いつだって同じところに戻ってくるのだろうか? というか、人が家を起こしたのであるから、 家のことを考えるときは身体と結びつけて考えるようにしている。 そのための行動のひとつが、この記録の整理。 身体と家(床・壁・天井)を媒介するものは空気。 その空気を、温度という要素を通して具体化し、設計に反映させる。 汗ばむような暑さのとき、身体と家の温度差は4.4℃。 冷蔵庫の中にいるような冷気の中では23.6℃の温度差を感じている。 暑いとも、寒いとも感じない、 温度のことがまったく意識の中から消え失せているとき、 身体と家の温度差は10.3℃。 この10.3℃を維持することが、 温熱環境の設計ではひとつのテーマになるのだろう。 皮下脂肪の厚さ、血液の循環量、 身体のつくりはひとりひとり違うので、 ここで表した数字は一般的な数値ではなく、まったく私の個人的数値だ。 しかし、自らの数値を自覚していれば、 向かいにいる相手の数値を想像する手がかりにはなる。 連想は設計には必要な作業だね。
by tutetoka
| 2017-01-19 16:21
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